日本政府の迷い

統制諸法令違反として取り締まりを受けた者の数は、たとえば昭和13年7月から14年10月までの間だけでも全国で225万人にのぼり、これは当時の内地人口の3パーセントをこえていました。


このように矛盾に満ち、また国民に不信を抱かせた経済統制は、終戦後、政策立案者たちに深刻な反省を強いるものとなりました。


行政官庁には、もうニ度と統制は御免だ、という空気が広がっていました。


それに加えて、統制は占領軍の推進する「民主化」に逆行するものだという考え方も根強かったのです。


終戦直後、政府には、再び経済統制にもどる意志はなく、食糧不足のさなか、昭和20年秋には一時、魚や野菜の統制を撤廃するなどしました。


しかし、その結果はどうだったでしょう。


・・・食糧不足はますます深刻化し、インフレもさらにエスカレートしました。


戦争の痛手はあまりにも大きく、日本経済が落ち込んだ谷は、自力ではい上がるには深すぎたのです。


こうして政府が終戦からほぼ1年間、統制による復興策をとることをためらったことは全く裏目に出、日本経済の混迷を一層助長することになってしまいました。


昭和21年2月の通貨改革を含む経済危機緊急対策が十分な効果を上げなかったことは、日本経済の危機がなみたいていのものではないことを政府に認識させました。


そしてついに昭和21年8月、のちに「泣く子も黙る安本」といわれた強力な統制機関、経済安定本部が設立されました。


統制経済という、西ドイツの市場経済とは正反対の道がここに選択されたのです。

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