ドイツの挑戦 3
輸入の自由化は、復興を始めたばかりの西ドイツの国内産業にとってかなり厳しい事態を引き起こすことが予想されました。
しかし、エアハルトはそれに対し特別の保護政策を取ることはせず、各企業の合理化の努力に委ねました。
そうすることが結局は企業の競争力を強化することにつながるという考え方によったのです。
マーシャル・プランの援助が始まる一方で、通貨改革が成功し、市場経済原則が導入された1948年という年は、正に西ドイツ経済の爆発的成長の始まりの年となりました。
戦前の1936年を100としたときの鉱工業生産指数は1948年の54から、1953年には150と3倍に上昇しました。
わずか5年という短い期間内にこのような急激な経済発展を遂げた例はかつてなく、まわりの国から「奇跡の復興」と驚きの目で迎えられました。
生産・消費・物価・所得・雇用……あらゆる経済指標がことごとく好転しました。
一体なぜ、すべてがこうもうまくいったのでしょうか。
それは経済学者でも十分に説明できないことであるようです。
とりあえずよく語られているのは、通貨改革が断行され、市場経済原則が導入された1948年という時点で、西ドイツには、差し当たり十分な生産能力と購売力の殺到に応じうる在庫、マーシャル・プランの援助による原材料輸入増加の見通し・・・。
そして、消費者の消費意欲、企業家の投資意欲など、経済成長のための条件がすべてそろっていたという説明です。